古谿荘について(※古谿荘は現在一般に公開されておりません。)

建設地

航空写真

古谿荘(現野間別荘)は静岡県富士市岩淵(日本3大急流富士川の西岸)の約3万坪とも言われた広大な敷地の中に、明治39年から42年(1906-1909)にかけて建設された。
東側で富士川に接し、西側を旧東海道が通る河岸段丘の中段にある。南側を東海道本線が走り、岩淵駅(現富士川駅)は明治22年(1889)に開業していた。大正時代に入り、国道1号線富士川鉄橋を架橋するにあたり、敷地内を国道1号線が通過することになった。現在でも約1万6千坪の敷地が残され、周辺部は中学校、ふれあいホールなど文教施設に土地を提供し、教育文化の地となっている。

建築概要

屋根の上の富士山

古谿荘(平成17年12月27日国指定重要文化財)は9つの棟とそれらを繋ぐ回廊から成っている。延べ床面積は612.7坪で、そのほとんどが木造平屋建てである。一部、石造2階建て蔵、木造3階建て倉庫が併設されている。 用途は別荘であるが、「真・行・草」を兼ね備えた接客空間を持つ、避寒を目的とした大規模複合施設である。一見和風建築に見えるが、その意匠および使用材に西洋式が組み込まれた典型的な近代和風建築である。

庭園概要

流れ(白糸の滝)

敷地約1万6千坪の半分が回遊式日本庭園で、残りが果樹園になっている。「古谿荘水道電線敷設表示図(大正5年)」を見ると、現在の中学校、ホールは全て果樹園であったことが分かる。むしろ果樹園がメインの西洋式庭園との併設であった。  日本庭園の中を巡る流れと池の水は、北方約1km先の吉津川から取水し、10吋の鋳鉄管で古谿荘中庭まで導水し、高低差を利用して常に流していた。  主木は赤松とつつじであるが、赤松は「多行松」で、宮内省が御用邸・離宮でよく使っている樹種である。園地は野芝が敷詰められ、園路は砂利敷きとなっている。現在見られる杉ヒノキや桜は第二次世界大戦以後植えられた樹木である。

大広間

大広間

最も格式の高い書院造りで、桁行10間・梁間7間の大空間である。 平面構成や床の間のデザインが左右対称である。 大屋根は寄棟造鉄板瓦棒葺であり、その屋根を支える小屋組は西洋式のキングポスト 様式で造られている。

洋館中央応接室

洋館中央応接室

明治時代の貴顕邸宅の大きな特徴に洋館の併設がある。八角形の応接室の周りに4つの部屋が突き出ている奇抜な建物である。 窓、戸にガラス材を、補強材に鉄製金具、洋館壁紙に金唐紙、建具金物(戸車、施錠金物)など西洋の材料を使用している。

茶室

茶室 丸窓

居間、寝室といった私的な空間であるが、京間作りの茶室風に見える。 デザインを見ると、煎茶道の影響が強く感じられる。

設備

電気設備

便所

電気設備、給水・給湯設備、浄化槽設備、メンテナンスピットなど、西洋技術が導入されている。 また、靴脱ぎ石、つくばいに擬石を使い、基礎・橋をコンクリート造としている。

富士山

松越しの富士

大広間からの眺望を最重要視し、水平ラインを強調した果樹園・多行松の上に富士山を浮かびあがらせ、垂直ラインを強調した赤松の大木で額縁を設定している。和洋併設の貴重な大規模庭園で、その借景に日本一の富士山を用いている点が、大変ダイナミックである。

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